◇頑張れ!ゆいレール◇
「せっかく沖縄に来たんだからモノレールにも乗りたいじゃない?」と、ここまでやったらこれもやらいでか!な母の一言でレンタカーを帰る前日夜に返してしまったので空港まではモノレールに乗ることになった。 といってもホテルからもよりの駅となる県庁前まで荷物一杯で歩くのは重いし辛い。 どーすりゃいいんすかね、と思っていたところホテルの車で駅まで送迎してくださることになった。 聞いてみるもんだね♪
  
運転手さんによれば市民の皆さんにとって最初はめずらしさも手伝って乗ってはみたたが、今のところ車社会に慣れてしまっているから結局車を使ってしまう場合が多いそうだ。 このモノレール開通提起があったのは昭和47年。 1972年って大阪万博の2年後じゃん! 私にとって昭和は、なんでもかんでも基準が大阪万博になってしまうのは三波春夫氏の「1970年のこんにちわ〜♪」な歌のせいです。 ちなみに、どんな時代だったかを検索してみると、

ニュース
・田中角栄「日本列島改造論」発表
・浅間山荘事件
・ウォータ・ゲート事件(USA)
テレビ
・なんたって18歳
・ありがとう
・キーハンター

・瀬戸の花嫁(小柳ルミ子)
・どうにもとまない(山本リンダ)
・せんせい(森昌子)
むー、あの頃ですかー。 花の中三トリオの頃ですな。 

車が少なかった昭和47年当時と今では時代も違う。 しかし、車社会になってしまったから渋滞も起こるようになったから渋滞を避ける意味でも必要といえば必要なのだそうだ。 那覇市の皆さんの住宅地というのがどこにあるのかは知らないが、空港から街中へ走る電車は渋滞にも巻きこまれず、また運転しない方には便利。 しかしまだまだメジャーになるのは先のようだ。 ゆいレールや、頑張っておくれ!

といいつつも、車内は郊外に住む方達で混雑してましたよ。 新しい車両ってのはバリアフリーもしっかりしているし綺麗でよいもんです。 車だと車高の高さから見る沖縄を最後に高いところから見ることができたわけで、最後の最後で那覇市内を見ながら空港へ行くというのも気分がいいものでした。

那覇空港って「最後ですよ! お土産買い忘れありませんか?」的になんでもかんでもあります、便利です。 パイナップルも結局ここで買えば楽なのね、と参考になりました。
 
暖かい那覇から2時間後の羽田に到着したら霙まじりの雨でした。 寒い!あまりの寒さに空港内で天ぷらソバを食べて暖まってから帰ることにした。 駐車場で愛車の鍵を受けとり、さて両親を東京駅まで送っていくかとドアを開けたら、たった数日の沖縄旅行中にお世話になったレンタカーに慣れてしまい「あ、この車って後にはドアがないから不便よね」とか言いおりました(−−) 
あーそうだよ、すまんね、2ドアで。。。

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