December 2004

 

12月31日(金) こんなもんだ、が一番いいの

同窓会でした。 30日から31日早朝6時まで延々に、延々に、延々に。。。。最後の最後までこれかよ!2004年。 半年くらい宴の機会がなかった(というか行けなかった)のをこの1ヶ月で取り戻した。。。。。かな?
実はその前にも知人と飲んでいたりしたもんだから、遅刻しての参加でした。 会場の隅っこのソファに遅れてきたから申しわけなさそうに座っていたのに「全く自分から動かないで人こさせるよな!」と皆さんがやってきてお酌していただきました。 ほほほ。。。 (いや、本当に申しわけないから小さくなっていたつもりなんですけどー) 
仮眠して実家へ向かおうにもまだお酒が抜けていない気がして、お風呂に入ってお味噌汁飲んだら充分まともな人になりました。 と思ったら雪ではないですか! そんなに降らないのかと思い一瞬車を出したのですが、引き返して渋々JRの駅へ。。。。
徐行運転しつつなんとか実家へたどりつきました。 しかし、久しぶりに電車で帰ったけれど、乗り換えも多いし、接続も悪くで時間がかかったよ。
家に帰ってから友人が一升瓶持ってやってきた。 おまけに沖縄の泡盛なんぞも沢山あったりして。。。。。。
とりあえず紅白のマツケンサンバはみなくっちゃ! で頑張りました! マツケンサンバ中はメールが入る入る(笑) その後は深夜番組も見ずに寝てしまいました。 
今年はニュースでは大変なことが沢山あったけれど、自分の周辺は「まー、こんなもんだな」な年でした。 久しぶりのエゲレスも行けたし、低空飛行な健康も守れたし。来年も「こんなもんだな」と言える年になるのが目標です。 

12月23日(木) 近況

忘年会1: 深夜勤務な24時間サポートセンターの人たちと翌朝の6時半集合で築地市場のお寿司屋さんで宴。 
忘年会2: 日中逆転の出版社の人たちと夜中から焼肉の宴。
忘年会3: 友人宅でがきんちょゴロゴロいる中でソフトドリンクで昼の宴。
忘年会4: ゲイバーにて同窓会。 すばらしい会場選択だ(笑)
忘年会5: 外国人用住宅にてなぜかフランス人たちと宴。 ワインが水のように減るわ、減るわ。

そんなことしているうちに今年ももうすぐ終わりになってきました。 来年の目標はまっとうな時間に生活することです(謎)

12月04日(土) 圏外

とうとう2001年から使っていた携帯第3号がぶっ壊れた模様です。 ずっと圏外でやんの。 バッテリーが切れたのかと思って充電しても反応はなく、そのうち電源も入らなくなって完全に壊れました。 家のパソコンのバックアップはたまに取っているものの、ケータイのバックアップはとってないから真っ青。 中のメモリだけは生きていてほしい!と一縷の望みをかけてショップへ行ったらなんとか取り出せました。 しかし、やはり本体はまたいつ壊れるかもわからない状態だそうなので、新しいのを購入することになりました。 やっと、ものすごーく遅いカメラ付き携帯デビューです。 (笑) でも説明書を読むのが面倒で使いこなせてないのですー。 めんどうだー。 

12月03日(金) 絶賛販売中

今年が最後となるトヨタカップですが、おもしろい現象がおきています。
今日の朝刊にも広告がでていましたが、いまだにチケットが余っているようでその発売に関する広告でした。 いつもの年は発売日にあっという間に売りきれなのに、今年は事情が違う。
なんせあまり日本で人気があるとも思えない両チームの対戦。 これでも行くのは本当にサッカーが好きか、ポルトガルとコロンビアに関係している人でしょう。 ベッカムもいなけりゃトッティもいない。 こんなに楽にとれるサッカーの試合は久しぶりですわ(爆)
丁度発売日はイギリスにいたわけですが、どうせとれないから、他の方法で。。。と諦めていたのに、なんだか帰国してからも余っている。 一緒に行く予定の人も唖然としておりました。
でもってほんの少しですが(本当か?)ザマーミロな気分なのはオークションですわ。 毎回毎回見るわけでもなく私腹のためにチケットを買占め、サッカーを純粋に見たいファンを悩ませ、それらのチケットを信じられない価格でオークションに出す方たち。今回は大外れです。  オークションは行けなくなった人が売るには便利ですが、このところ目に見えてプチ・ダフ屋の人が酷かったから大笑いです。 一人で何十枚も出している人もいるし、最初は定価の3倍くらいのスタート価格がいまじゃ定価で買うよりも値段が落ちていたりもします! 少しはサッカーの知識がありゃそんなチケットの買い方しなかったのでしょうが、トヨタカップ=儲かるだけの考えだけの方々残念でしたー。 最後の最後でトヨタカップにやられたね。 

12月01日(水)レッド・リボン

12月1日からレッド・リボン運動週間です。
あまり自分のサイトにナントカ運動や団体のバナーを貼ることはしないのですが、これは長年かかわっていることなのでトップページに貼らせていただきました。
私が渡米するころ日本では海の向こうで発症されているエイズに関してのニュースが偏見や誤解として騒がれていたまさにその時代でした。 かくいう私も「エイズには気をつけて」なんて枕詞になるようなお別れの言葉に笑って対応していたものです。 もちろんHIVなんて言葉は知りませんでした。
渡米してまだ半分学生だったようなころ、「暇しているんだったら通訳しない?」と1週間ある病院へ通うことになりました。 日本からやってきた栄養士さんがアメリカの病院での視察をかねた研究会でした。 その時紹介してくださった方からは詳細を教えてもらわずに(通訳を依頼したその会社へも詳細はふせていたのだそうです)待ち合わせのホテルへ行ったのですが、その後1週間通う病院というのがエイズ病棟とその時始めて知りました。 最初から怖がるような偏見を持ってもらいたくなかったから待ち合わせの場所まで教えないようしたのだそうです。 
病棟の大半は性感染された同性愛の方でしたが、別室ではドラックの廻し打ちで針から感染してしまった中毒者も入院されていました。 拘束服を着させられ、またはベットに縛られて幻覚を見ているのか叫んでいる患者、知識をあまり持っていなかったから、初日はこれからの1週間が恐怖感もあり嫌で仕方がなかったのを覚えています。
しかし一般病棟の患者さんはそれは穏やかで、毎日通ううちに顔見知りとなり仕事以外の話もボチボチするようになってきました。 あの1週間は悲しかったり、感動したり、大笑いしたり、そして沢山のことを学ばせてもらえ今も感謝しています。
大好きなアーティストがこの世から去っていきました。 身近な友人や知人も何人かこの病と戦ってあの世で行ってしまいました。 昔、「たぶんそのうちいい治療薬ができるよ」と思っていたのに、決定的な治療薬はなく、おまけに他の国よりも感染率があがっているという日本、怖いです。